ルール その9 言葉の天才に学ぼう。夏目漱石 編
漱石の冒頭文を読んでみよう。
「確かに、良い文章を読めばよいことはわかる」「でも、そうはいうものの、何を読めばいいのか・・・」。はい、そんな時には教科書でおなじみだった「夏目漱石」は、いかがでしょうか? 基本中の基本。大学の入試問題でも出題率が高い「文豪・夏目漱石」。さあ、あなたは冒頭文を見て、すぐに作品名がわかりますか??
1)親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。
「夏目漱石-坊つちゃん(冒頭文より)」
2)うとうととして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている。このじいさんはたしかに前の前の駅から乗ったいなか者である。
「夏目漱石-三四郎(冒頭文より)」
3)私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。
「夏目漱石-こころ(冒頭文より)」
4)山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈)だ。とかくに人の世は住みにくい。
「夏目漱石-草枕(冒頭文より)」
夏目漱石は、1916年12月9日『明暗』の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳でした。1905年、39歳の時「吾輩は猫である」を発表してから、執筆期間は約11年ということになります。
わずか11年の間に、連続してあの作品を生み出し続けたというわけです。あらためて考えてみると、その凄さには圧倒されるものがありますね。天才と一般人の違いを、まざまざと感じてしまうわけです。漱石の11年分の仕事量の10分の1でも、100分の1でもいいから、何かを成し遂げたいと凡人の私などは真剣に考えてしまいます。いやはや。
それはともかくとして「夏目漱石を嫌いな人はいない」と、何かの本で読んだことがあります。確かに、漱石の作品には素直に魅了される、惹き付けられる「何か」があると私は感じています。高校生の時に教科書で「こころ」を読んだ人も、いねむりして読まなかった人も、ぜひ一読を。いや三回繰り返して読んでみてください。きっと、高校生の頃とは違った「何か」を発見できると思うのです。
夏目漱石 略歴 | 1867年 江戸牛込馬場下横町に生まれる。 1893年 帝国大学文科(東京大学文学部)卒業 東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を送る。 1900年 イギリスに留学する。 1903年 帰国 1905年 処女作『吾輩は猫である』発表。 1906年 『坊っちゃん』『草枕』発表。 1907年 教職を辞し、朝日新聞社に入社。 1916年 『明暗』の連載途中に胃潰瘍で永眠。 |
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