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ルール 22

漱石のキャッチコピー(連載予告文)

 

『自己の心を捕へんと欲する人々に、人間の心を捕へ得たる此作物を奨む。』夏目漱石「こころ」広告文より

 
これは、『夏目漱石 こころ』の発刊にあたって書かれた広告文です。いわゆるキャッチコピーですね。自分の「こころ」を捕らえたいと求めるみなさんに、人間の「こころ」を捕まえた、この作品をおすすめします」とのこと。これは読みたくなりますね。「人の心を知りたい」という、根源的な欲求(ニーズ)にまっすぐに切り込みつつ「おすすめ」することで行動を促しています。当時の人たちは、わくわくしながら連載の開始を待ったことでしょう。
 
 

■明確なコンセプトと、背後に存在する知識と思考の量

 
広告は目立たなければいけません。読んでもらえなければ存在しないことと同じですから、クリエイターは様々な工夫を重ねていきます。それは広告が広告として機能するために、もっとも重要な要素のひとつです。しかし「ただ目立つだけのキャッチコピー」や「かっこいいだけのキャッチコピー」になっては本末転倒です。「何を歌伝えたいのか」そして「どうしてもらいたいのか」が伝わらなければ意味がないのです。
 
漱石先生の中には「この作品(こころ)で表現したいこと = コンセプト」が明確にあったはずです。だからこそ、シンプルで短い言葉でも、読者の心にまっすぐに届く広告文を書くことができたのでしょう。そして私たちは、この短い広告文の背後に、漱石先生の膨大な知識と思考の量を感じることができます。だからこそ、期待も高まるし感情も揺さぶられるのです。このようなキャッチコピーを書いてみたいものだ、と、つくづく思います。
 
 

■ちなみに「こころ」の冒頭文は・・・

 

『私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。』夏目漱石 こころ より

 
書き出しも、ひきつけられますよね。みなさんも、高校生の頃を思い出して、もう一度読み直してみてはいかがでしょうか?「自分の心を捕まえる」ことができるかもしれません。
 



【参考】「漱石の予告文」集 新聞の連載予告に書かれた文を紹介します。

 
田舎の高等学校を卒業して東京の大学に這入つた三四郎が新しい空気に触れる、さうして同輩だの先輩だの若い女だのに接触して色々に動いて来る、手間は此空気のうちに是等の人間を放す丈である、あとは人間が勝手に泳いで、自ら波瀾が出来るだらうと思ふ、さうかうしてゐるうちに読者も作者も此空気にかぶれて是等の人間を知る様になる事と信ずる、もしかぶれ甲斐のしない空気で、知り栄のしない人間であつたら御互に不運と諦めるより仕方がない、たゞ尋常である、摩訶不思議は書けない。『三四郎』予告 より


 
色々な意味に於てそれからである。「三四郎」には大学生の事を描たが、此小説にはそれから先の事を書いたからそれからである。「三四郎」の主人公はあの通り単純であるが、此主人公はそれから後の男であるから此点に於ても、それからである。此主人公は最後に、妙な運命に陥る。それからさき何うなるかは書いてない。此意味に於ても亦それからである。『それから』予告 より


 
吾輩は猫である。名前はまだない。主人は教師である。迷亭は美学者、寒月は理学者、いづれも当代の変人、太平の逸民である。吾輩は幸にして此諸先生の知遇を辱ふするを得てこゝに其平生を読者に紹介するの光栄を有するのである。……吾輩は又猫相応の敬意を以て金田令夫人の鼻の高さを読者に報道し得るを一生の面目と思ふのである。……『猫の広告文』 より


 
昨夜豊隆子と森川町を散歩して草花を二鉢買った。植木屋に何と云ふ花かと聞いてみたら虞美人草だと云ふ。折柄小説の題に窮して、予告の時期に後れるのを気の毒に思って居ったので、好加減ながら、つい花の名を拝借して巻頭に冠らす事にした。(中略)社では予告が必要だと云う。予告には題が必要である。題には虞美人草が必要でーーーーないかも知れぬが、一寸重宝であった。聊か虞美人草の由来を述べて、虞美人草の制作に取りかかる。『虞美人草 連載予告』より


参考資料「漱石全集 岩波書店」「別冊太陽 夏目漱石」



おまけ)漱石と岩波の「こころ」を巡るエピソード

 
 
■実は「自費出版」だった。
 
「こころ」に感動した、岩波書店の創業者・岩波茂雄氏は、漱石に直談判をして出版の承認を願いました。当時の漱石は「売れっ子作家」岩波書店は「古本屋」。大手の書店が、漱石の本を出版したいと願っている中、岩波氏は涙ながらに出版の許可を訴えたといいます。その真直ぐな心意気に感動した漱石は、なんと岩波書店からの出版を許可。みごと、許可を得た岩波氏はこう言ったといいます。
 
「先生、出版のための資金も用立ててください」
 
つまり、作家本人に「出版にかかる費用」も依頼するのですね。普通では、絶対にありえない依頼です。しかも、相手は人気作家の漱石。「ふざけるな!」と、一喝されて当然の状況な訳ですね。ところが、漱石はこの「とんでもない依頼」を受けてしまうのですね。出版の費用を自分で出す、いわゆる「自費出版」で「こころ」を出版することにしたそうです。
 
さらに漱石は、装丁まで手掛けて「こころ」の出版に尽力します。(この装丁に関しても、様々なエピソードがあります。気になる方は調べてみて下さい)。漱石の懐の深さ、そして岩波氏との絆(岩波氏は漱石の門下生)を感じる話ですね。
 
 


伝わる文章講座 佐藤 隆弘 拝

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