ルール50 太宰治 「グッド・バイ」作者の言葉 を読む。
続きが読みたくなる文章。
先日、青空文庫で太宰治の作品を検索していたところ「グッド・バイ」作者の言葉 というファイルが目にとまりました。短い文なので、全文を引用してみたいと思います。まずは、こちらをご覧ください。
「グッド・バイ」作者の言葉 太宰治
唐詩選の五言絶句の中に、人生足別離の一句があり、私の或る先輩はこれを「サヨナラ」ダケガ人生ダ、と訳した。まことに、相逢った時のよろこびは、つかのまに消えるものだけれども、別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情の中に生きているといっても過言ではあるまい。
題して「グッド・バイ」現代の紳士淑女の、別離百態と言っては大袈裟だけれども、さまざまの別離の様相を写し得たら、さいわい。
底本:「もの思う葦」新潮文庫、新潮社 1980(昭和55)年9月25日発行1998(平成10)年10月15日39刷 入力:蒋龍 校正:土屋隆 2009年4月7日作成 青空文庫作成ファイル:このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
私は、この文章を読んだ時に「さすがだなあ」と感じました。文豪の文章に対して「さすが!」もないですけれど、とにもかくにも「作品が読みたくなる文章だ」と思ったわけです。
夏目漱石の「予告文」を読んだ時にも、同じような高揚感を持ちましたけれども、さすがに文豪ともなると予告文から、圧倒的に読者を惹き付けるのですね。当時の読者も、この予告文を何度も読み返しながら、これから始まる物語に心躍らせていたのでしょうか。
未完の遺作「グッド・バイ」
ちなみに「グッド・バイ」は、太宰治の未完の遺作です。太宰は本作を朝日新聞連載中に、入水自殺を図ってしまうため、未完のまま絶筆。そしてそれが遺作となってしまったというわけです。
私は、学生時代の国語便覧にて「太宰の遺作は『グッド・バイ』」と、いうことを知りました。その時は「太宰は『グッドバイ』という作品を書き上げて、この世に別れを告げてから亡くなったんだな」と思っていました。ストレートなタイトルで、それがまあ「太宰らしい」と思っていたのですが、実はそうではなくて、さよならの途中で終わってしまっていたというわけです。
内容も予想していたようなデカダン的といいますか、内省的なものではなく、ユーモア小説(と、言い切っていいのかは最後まで読んでみないとわかりませんが)の雰囲気に満ちていて、見事に予想を裏切られ、学生時代の自分は「これは?」と当惑しながら読み終えたものです。
もしも、このまま連載を続けていたのなら、次の女性には、どのように「グット・バイ」を告げるのか?そして、すべてを終えた後、キヌ子との「グッド・バイ」は? 続きを読みたいような。いや、逆に未完で終わっていることが作品の魅力を、増しているのかもしれない。
それにしても、遺作を「グッド・バイ」とするのは、太宰らしいといえばらしいような気がするけれど、本当にこれで最後にしようと考えていたのか? そもそも太宰は、この段階で本当に自殺をするつもりだったのか? 様々なことを想像しながら、もはや永遠に知る事ができない謎のなかで色々と考えていたことを覚えています。
伝わる文章講座 佐藤 隆弘 拝
関連:
佐藤の読書日記 太宰治
旅日記 斜陽館へ行く