漱石だって「不安」になる。
誰だって不安になります。これは、成功している人も同じだと思うのです。例えば進路についての不安を、夏目漱石は「私の個人主義」の中で、このように話しています。
私は私の手の中に、ただ一本の錐さえあれば何処か一ケ所突き破ってみせるのだがと、焦り抜いたのですが、生憎その錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見する訳にも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰鬱な日を送ったのであります。
私はこうした不安を抱いて大学を卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引っ越し、又同様の不安を胸の底に畳んで遂に外国まで渡ったのであります。
夏目漱石「私の個人主義」より(一部抜粋)※一部、現代仮名遣いに直してあります。
東大を卒業して文部省の給費留学生として、イギリスへの留学。私のような凡人から見ると「さすがエリートだな……」と。そのくらい能力に恵まれていたのならば、やりたいことは何でも出来るんじゃないか、と思う訳です。ところが漱石自身は「陰鬱だった」と「不安だった」と、話しているのですね。(ちなみに漱石は、渡英後に神経衰弱に悩まされることになります。このことに関しては、また別の機会に書いてみたいと思います)
もちろん漱石のような天才の「悩み」と、私のような凡人の「悩み」では悩んでいるレベルや質が違うと思います。でも、あの漱石だって「悩みながら自分の進路を決めて行ったんだ」と思うと、勇気のようなものを感じてきます。才能に恵まれて出世コースをまっすぐに進んでいる人でもそうなのだから、自分が試行錯誤を繰り返すのは当然なのだ、と思えてくるわけです。
不安に注目するのではなく、変化に目を向けてみる。
私は仕事を通して、独立起業を目指している方や、実際に起業をして挑戦を続けている方達と、親しく話をさせていただく機会があります。みなさん夢に溢れて「あれもしたい。これにも挑戦したい」と、これからの目標を熱心に話して下さいます。起業家のみなさんと話をしていると、仕事が重なって少々くたびれているような時でも、いつのまにか元気になっていることもあるくらいです。
しかし、そのような方達も決して「不安」がない訳ではありません。しかし立ち止まったら、そこで終わりになってしまう。でも、動き続ければどこかが変化する。変化を見つけられれば、そこに新しい可能性を見つけることができる。そんな風にして「悩みを抱えながらも、動き続ける」ことを選択していきます。その姿には、社員だけではなく、周囲の人も巻き込むような力に溢れていますから、さらに多くの人たちを巻き込んで加速していくのです。
先日、ある起業家の方が私に語ってくれた言葉。
「やらないで後悔するよりも、やって後悔する方がいい」
不安に「だけ」注目するのではなく、動くことで見えてくる「変化」にも目を向けてください。そこには、きっと「なにかおもしろいこと」が、ちいさくても鮮やかな光を放っているはずです。
伝わる文章講座 佐藤 隆弘 拝
追伸:
漱石は芥川・久米氏に向けた手紙の中で「あせつては不可せん。頭を惡くしては不可せん。根氣づくでお出でなさい。世の中は根氣の前に頭を下げる事を知つてゐますが、火花の前には一瞬の記憶しか與へて呉れません。うんうん死ぬ迄押すのです。それ丈です。」と書き綴っています。
漱石の人生を知ったあとにこの手紙を読むと、自分自身が悩み苦しんできたからこそ表現できる「思いやりの深さ」を感じます。実際に現実の世界に立ち、歩き続け結果を出してきた漱石の凄みと深さを感じますね。
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