ルール40 ストーリーを追う「読書」から、自分自身を映す「読書」へ
物語は自分自身を映す鏡。
今回は、宮澤賢治「銀河鉄道の夜」を読んでみたいと思います。 主人公「ジョバンニ」が、学校から帰ってきて、母親と話をする場面から。
「お母さんの牛乳は来ていないんだろうか。」
「来なかったろうかねえ。」
「ぼく行ってとって来よう。」
宮澤賢治『銀河鉄道の夜 三 家より』
その日、主人公の家には、届けられるはずの牛乳が、届いていません。
そこで、私達は気がつきます。そうだ、この作品の冒頭文は・・・。
「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
宮澤賢治『銀河鉄道の夜 一、午后の授業より』
冒頭文で、乳の流れたあと、という言葉があったことを、思い出しました。どうやら「乳、牛乳」には、なにかしら、深い意味がありそうです。そしてジョバンニは、牛乳屋さんに届いていなかった牛乳を受け取りに出掛けます。
「あの、今日、牛乳が僕んとこへ来なかったので、貰いにあがったんです。」ジョバンニが一生けん命勢よく云いました。
「いま誰もいないでわかりません。あしたにして下さい。」その人は、赤い眼の下のとこを擦りながら、ジョバンニを見おろして云いました。
「おっかさんが病気なんですから今晩でないと困るんです。」
「ではもう少したってから来てください。」
宮澤賢治『銀河鉄道の夜 四、ケンタウル祭の夜』より
でも、牛乳は手に入りませんでした。「一生懸命勢い良く言った」のに相手にしてもらえなかったのです。そして、牛乳を手に出来なかった主人公は、そのまま「白い銀河」へと旅だっていきます。
あああの白いそらの帯がみんな星だというぞ。
宮澤賢治『銀河鉄道の夜 五、天気輪の柱』より
真っ白な銀河へ向かって、カムパネルラとジョバンニは、旅を始めるのです。ハルレヤ! ハルレヤ!
物語は、自分自身を映し出す鏡である。
私は、大学で日本文学を専攻しました。学問としての視点から、文学の世界に触れてきたわけです。その当時は、このような考察を行うことについて、面白みを感じていることと同時に疑問のようなものも抱いていました。確かに面白いし、色々な発見があるように思うけど、それは「読み手」の解釈に過ぎないし、結局のところ、答えは「作者の頭の中」にある、と考えていたからです。
でも、このように作品の世界について考えていく過程で、物語は「今、自分が何を考え何を求めているか」を映し出してくれるということに、気がついた時「今の自分の視点からの答え」を探りながら、読む楽しさに気がつくことができました。
ぜひみなさんも、ストーリーを追って行く読書だけではなく、今の自分自身を映しだす鏡としての読書を楽しんでみてください。なぜ自分はこの表現にひっかかったのか?どうして作者はこのような表現をしたのか?色々と考えながら思考を深めてみてください。そこから映し出されてくるものは、きっと、今のあなたにとって、必要な「たいせつな、何か」だと思うからです。
伝わる文章講座 佐藤 隆弘 拝